普段英語使わなくても懲りずに勉強する理由

また英会話を習い始めた。

英会話スクールに行くのは社会人になってから7回目だ。その間も、英語の勉強も何かしらやっているから、学生時代も入れると30年勉強していることになる。

しかし、幼稚園児よりひどい発語しかできない。

その理由は分かっている。

元々、日本語ですらコミュニケーション出来ないからだ。

でも、正直、そのおかげで、英語を勉強し始めた。

 

中学で英語を勉強し始める時には、入学前の春休みから張り切ってラジオ講座を聞いていた。英語に限らないが、私は不器用だから、ちょっとでも人より早く、出来るだけ早く手をつけるしかない...と手だけは早くつける傾向があった。

 

それに加えて、日本では誰とも仲良くなれないが、英語が出来れば、どこかで私のことを分かってくれる人を見つけられるかもしれない、と希望を持っていた。

 

これは今では考えられない発想だ。結局誰とも仲良くなることもないし、日本人との方がまだコミュニケーション取れるじゃないか、と今は思う。

 

当初の目論見は全く達成されていないけれど、私は英語を勉強したタイミングで、たまたまTOEICで点をあげたおかげもあって、特別望んでいるわけではなかった国際関係に多少関わる部署に行くことになったわけだから、分からないものだ。

 

上達しないのに、何度も英語を勉強し直しているのには3つ理由がある。1つは書いたように、結局仕事として転がってきたことだ。

 

2つ目は学生時代に卒業旅行代わりにイギリスの語学学校に1ヶ月行ったときに、日本語が外国語に聞こえるほど英語に慣れたことだ。その感覚は残念ながら日本に帰国後に消えてしまったが、英語漬けになれば英語に慣れるという自信がついた。そして、その感覚をまた体験したいと思って、時々旅行やら英会話スクールやらイベントやらで、英語漬けになってみたりしているのだ。

 

3つ目は英語を使う機会は、忘れた頃にやってくる。たまたま話が通じてお礼を言われて嬉しかったこともある一方で、出来なければ非常に悔しい思いをする。それは仕事に限らない。趣味の世界でも、たまたまNYから来日した人から取材をうけたこともあったし、打ち上げで話をする機会があったこともある。

 

今回はスカイプでの英会話レッスンだ。上達はしないかもしれないが、既にこのおかげで初めてスカイプを使っている。これだけでも一つ新しいことを体験できたから、まずはこれでいいのだ。あとはベストを尽くのみ。