自分のことしか考えられないらしい

久々に昔の職場の人たちに会って話をした。 今の職場では私が話すたびに弄れたり馬鹿にされたりして気楽になれないが、昔の職場の人たちはそんなことを一切言わないから、気楽に話をしていた。

 

しかし、よく考えてみると昔の職場の人々が優しいだけなんだろう。今の職場の人たちは正直に「あなたは自分のことしか話さない」とか、「質問に対して答えていない」というが、昔の人は呆れて聞き流しているだけかもしれない。

 

ひとしきり好きなように喋り倒して家に帰ってきて虚しくなった。結局私は、昔の人と仲がいいわけでもなく、相手にされてないだけかもしれない。

憂うつな日々

自分が仕事のできない人間で、会社では認められないというのは、どうしようもないことだ。

当然若い人に使われることも、受け入れなければならない。実は7,8年前から自分より若い人が自分の上司だし、優秀な人が上司なら楽だしそれ自体は全く気にしていなかった。しかし、最近は自分が歳をとったせいか、前よりも自分が出来ないと認識され、馬鹿にされることが多くなった気がする。

 

7, 8年前は昇進しないことを気の毒がられたり、環境的に仕方ないといわれた。私も別に昇進しなくても仕事をさせてもらえることを有難く思っていた。昇進だとか昇給なんて家族持ちとかお金を有意義に使う人、えらくなりたい人がえらくなってお金を貰えばよいと思っていた。どうせお金は使われて、まわるもんだ。

 

今はあからさまに、私は出来ないやつだから昇進も出来ないし、周りは私に仕事も任せられないし関わりたくないという感じだ。私も結局何をやっても出来ないと思う。10年前位にでも無理に昇進アピールでもしていれば憂うつにならなかったのか?そんな全くつまらない理由で憂うつになっていることに更に自分が嫌だと思う。

 

そんなに会社に役に立たないなら、会社を辞めて迷惑かけないようにしたい。しかし、辞めたところでやりたい仕事もなければ、職を探す気力もない。多分そのまま悪いスパイラルに入るだろう。

会社で居場所がなかろうが、会社でなんとか耐えて、会社に行かない時間を楽しめばよい。

 

本当のことを言えば楽しむ目的もない。だからといって死ぬのも苦しい。苦しまずに死ねるなら死ぬか?といえば、まだ健康であれば、取り敢えず会社をやめて、何かやるべきだと思うことをやってからにしたほうがいい。

 

前にも書いたが、自殺したって誰とも関わりないし、と悲しくもなる。でも、意外とそうではないことも知っている。何らかのつながりで、あの人が自殺から自分もこうなんだと思ったり、影響を受けて苦しむ人がいる。

 

私は自分のことしか考えないと言われるが、私からすれば、なぜ他人のことが自然に考えられるのか不思議だ。私はルールとか、因果関係だとか、法則だと思い込まなくては他人のことは考えられない。そのこと自体が悲しいから社会参加をしていないと思われて落ち込む。そんなことで悲しむことこそ、自分のことしか考えない証拠だというだろう。一方で、自分のそのような苦しさは分かってもらえない。ただの暗い人扱いだ。

 

普段英語使わなくても懲りずに勉強する理由

また英会話を習い始めた。

英会話スクールに行くのは社会人になってから7回目だ。その間も、英語の勉強も何かしらやっているから、学生時代も入れると30年勉強していることになる。

しかし、幼稚園児よりひどい発語しかできない。

その理由は分かっている。

元々、日本語ですらコミュニケーション出来ないからだ。

でも、正直、そのおかげで、英語を勉強し始めた。

 

中学で英語を勉強し始める時には、入学前の春休みから張り切ってラジオ講座を聞いていた。英語に限らないが、私は不器用だから、ちょっとでも人より早く、出来るだけ早く手をつけるしかない...と手だけは早くつける傾向があった。

 

それに加えて、日本では誰とも仲良くなれないが、英語が出来れば、どこかで私のことを分かってくれる人を見つけられるかもしれない、と希望を持っていた。

 

これは今では考えられない発想だ。結局誰とも仲良くなることもないし、日本人との方がまだコミュニケーション取れるじゃないか、と今は思う。

 

当初の目論見は全く達成されていないけれど、私は英語を勉強したタイミングで、たまたまTOEICで点をあげたおかげもあって、特別望んでいるわけではなかった国際関係に多少関わる部署に行くことになったわけだから、分からないものだ。

 

上達しないのに、何度も英語を勉強し直しているのには3つ理由がある。1つは書いたように、結局仕事として転がってきたことだ。

 

2つ目は学生時代に卒業旅行代わりにイギリスの語学学校に1ヶ月行ったときに、日本語が外国語に聞こえるほど英語に慣れたことだ。その感覚は残念ながら日本に帰国後に消えてしまったが、英語漬けになれば英語に慣れるという自信がついた。そして、その感覚をまた体験したいと思って、時々旅行やら英会話スクールやらイベントやらで、英語漬けになってみたりしているのだ。

 

3つ目は英語を使う機会は、忘れた頃にやってくる。たまたま話が通じてお礼を言われて嬉しかったこともある一方で、出来なければ非常に悔しい思いをする。それは仕事に限らない。趣味の世界でも、たまたまNYから来日した人から取材をうけたこともあったし、打ち上げで話をする機会があったこともある。

 

今回はスカイプでの英会話レッスンだ。上達はしないかもしれないが、既にこのおかげで初めてスカイプを使っている。これだけでも一つ新しいことを体験できたから、まずはこれでいいのだ。あとはベストを尽くのみ。

 

 

 

人との距離感がちがうのか

子供の時、私はあちこちの人の家に遊びに行っていた。

自分はあちこちの人と遊んでいるつもりだったが、そうでは無かったらしい。

 

人の家に行っても、人の家のおもちゃで遊んでいるだけで、人には全く関わっていなかった、と親はいう。さぞかし変な子だと言われていたに違いない。

 

「友達は喜びを2倍にし、悲しみを半分にする」と小学校の先生には色紙に書かれるし、本人も気にしないわけにはいかなかった。かといって、本人は人と遊んでいないつもりはない。だから「友達」と言われてもどうすればよいか理解しようがなかった。

 

また、他人には、朝、昼、夕方で話しているグループが違うと言われた。ということは、一つのグループにいなくてはならないのか。

 

そんな話を気にして、どこかのグループに決めて、後ろからついていくと、金魚のふんみたいについてくるな、という。短時間話すならまだよいが、長時間一緒に話すとか行動するということが出来なかったから、黙ってついていく時間が長くなる。

 

いじめられがちな子と一緒に行動しようとしたこともある。しかし全く関心のある遊びが合わず、合わせようとしても結局1日でうんざりしてやめた。

 

中学、高校、大学と経ると、相手が心が広いのか、一緒にあまりいないから変とか、逆に別のグループと話しているとか言う子はいなくなってきた。長時間べったり、他人といると苦痛なのは変わらず。顕著なのは修学旅行の類で、寝られないせいか、熱っぽくなったり鼻血出したりで大変だった。そのため、押入れに入りたいと半分話のネタ、半分本気で言っていた。

 

社会人になって年を経ると、周囲が家族持ちが増えたからか、シェアハウス的な民泊が日本でも増えたからか、べったりした人間関係がなくても誰にも気にされなくなり、大丈夫になってきた。

 

もっとも、結婚するには相手とはべったりいても平気でなくてはいけないんだろうし、私のような人が増えたら社会的に困るとは考える。

 

ただ、どうしても人とべったり関われないからといっても人生をやめることはないだろう。私は何らかの別の形で社会に還元しなくてはならないと思うし、そのようにすることで罪滅ぼしでもしようと考えている。

 

 

 

いわゆる"友達"がいなくても

子供の頃は、いわゆる"友達"がいなくて、悩んでいた。

ここで "友達" と" " でくくったのは、

・四六時中一緒に遊ぶ

・何でも相談する

・電話やラインやらしょっちゅう連絡をとる

というイメージの、親友とも言うのか、そういう人たちである。

 

今も、そんな関係の人はいないが、子供の頃のように悩むことはない。

 

子供の頃は何故悩むかというと、"友達"がいないと学校やら地域で目立ってしまい、人に何とかするよう言われるからだ。

 

グループ分けなり、登下校なりで、集団行動で、渋々どこかの班についていかないといけない。集団行動自体も苦痛なうえに、誰かと友達になるよう言われることも、相手に嫌がられるのも、周囲に憐れまれるのも苦痛だった。

 

もしそのことで悩んで、将来に不安を感じて絶望している人がいたら、それは年を取ればそこまで気にしなくて済むようになる、と、まずは伝えたい。今はネットがあるから、絶望までしないかもしれないけれど。

 

いわゆる"友達"のような形にこだわらないとしても、人間関係とかコミュニケーションとかは出来るに越したことない。だから、諦めて終わらずに試行錯誤はした方がよい。たとえ上手くいかなくても後々振り返れば話のネタくらいにはなる。

 

恐らく悩んでいた人の多くも、きっかけを見つけて普通になるわけで、私のように何十年経っても変わらないのはまれなんだろう。その私も、なんとかなっている。

 

そのどうしようもない、友達がいないのが自分の中で普通だという感覚については、別の記事で書く。

はじめての災害ボランティア(2047文字)

京都府災害ボランティアセンターという常設のセンターが企画したボランティアバスに乗って1日だけ作業した。

http://fu-saigai-v.jp

 

バス3台で行き先は福知山、綾部、宮津に分かれて移動。

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バスの中で受付時に配られた小冊子に一読するよういわれ、注意点を簡潔に説明される。

 

1. 建物など、そこと分かるものは写さない。

(被災者に配慮するため)
2. ビブス(団体名の入ったタンクトップみたいなやつ)を着て、名札シールを貼る(怪しい人ではないと分かるように)。
3. 無理はしない。

 

私が行った宮津では、休憩所にクーラーがあり、トイレも仮設ではない。道具もほぼ揃っており、暑いので保健師さんも念のため待機。初めて参加するものとしては快適な環境だった。

 

先に現地入りして滞在している人がいて、その人から作業場所の指示をうける。初めは山に近い一箇所で、約30名全員で土砂出し作業という話だったが、そこから少し離れたお宅でも土砂出し、途中で側溝の土砂出しとかその他も加わった。

 

作業はひたすら土砂出し。

20分休んで5分(実際は10分位)日陰で休憩を繰り返し。聞いたときには、そんな緩くていいのか、と思ったけどやり始めると20分持たなかった。午前2時間、1時間昼食休憩後、午後2時間だったけど午前2時間で1日分肉体労働したくらいの疲労度だった。

 

土のうはめちゃくちゃ重い。

60×50cm位の小型の袋に8割土砂を入れるといっていたが、それも重い、継続的に作業することや女性も持つこと考えたら6割くらいか。

1mも離れていない隣の人に渡すのを続けるだけでぐったり。

 

途中から側溝からの土砂出しという作業に3人位と言われ、飽きっぽい私はそちらに回ることにした。確かに雨が降ったら溢れて排水できなさそうだ。

 

30度後半と言われたこの暑さ、私からすれば涼しい風もあって他の地区や連休の他の日よりはマシだった。

 

一緒に作業していた人が動きに力がない感じになり「休みます」と言った。私はその場で休むのではなく、休憩室に行くのを勧めた。しばらくして戻ってきたが、後から保健師さんが追いかけて来て「熱中症の症状が出てるから横になったほうがいい」と。保健師さんがいてくれたから助かった。

 

それから別の方にもらった塩分補給のタブレット。水は飲んでいたが塩分取った瞬間、疲れが和らいだ。その方は普段山に登るらしく、その時の装備と似ているという。

 

それ以降は、無料で頂ける冷やしたスポーツドリンクを1本、終わったあとも遠慮せず1本頂いた。その前にも水2本飲んでいたから、普段の3倍は飲んだ。水はあと2本持参していたがスポーツドリンクの方が身体に必要だし、遠慮しても冷やした労力が勿体ない。ただ、水は他にも使えるから、次からは水とスポーツドリンクの粉末かタブレットを持参しようと思う。

 

この地区では土のうもそれほど臭くもなかった。臭いという人もいたが、私からすれば夏場の台所、昔の側溝、ライフラインの通ってない被災地やらと比べても、普通より臭っていない。

 

恐らく、側溝も普段から掃除されていたからか、掘ると土砂だけでなく、岩や瓦、ガラスや陶器が出てきて、今回の災害で埋まったのだろう。普段からの自治活動のたまものではないかと思った。

 

予定より1時間前に終了をリーダーが決めた。作業が終わったわけではなく、炎天下であることを考慮してのこと。道具は全部水洗い。ブラシも水を貯めるでっかい長いトレー5, 6個あり、各自の長靴も洗うよう勧められる。男女の着替え場所も指示がある。

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こういうスペース自体、この地区は理想的にあってよかったと思う。広場とちょっとしたアスファルトスペースも各地に適度に必要だ。もしここがダメとして、隣の地区にあれば活動しやすいんだろうし。

 

そもそも土砂崩れの可能性のある場所に住むかどうか、それ自体も考えなくてはならない。ただ、土砂崩れの影響自体は山のすぐ際だけでなく、洪水も合わせて、思った以上に広範囲にわたる。

 

私は女性のなかでも、健康で体力ある方だと思うけど、それでも連続参加はやめといて良かった。初めて参加するなら、今回が40代という年齢や体力的に最後の丁度良い機会だったかもしれない(でも、普段から体力仕事してるとか、ちゃんと自分の体力を把握して作業を加減したり出来る人もいるから、結局人によるけど)。次からはこの体力や健康状態、環境が基準となって、参加可否や、自分なりの作業ペースを判断できる。

 

至れり尽くせりで申し訳なく、そんなボランティアバスなどの経費はどこから出てるんだろう、と参加した後でサイト内を探した。今回の活動についての募金先も出ていたので、自分のバス代とお世話してもらった代くらいは振り込んでおいた。

 

万が一、これが彼らの商売で、私は物見遊山の観光客だと他の人に言われたとしても、活動を継続的にやる上で一つの方法でいいと思う。

 

色々手配してくださっているボランティアセンターや被災地の方々には、活動に参加させて頂いたことに感謝しています。有難うございました。

まず言っておきたいこと

人生も恐らく半分過ぎていて、家族もいない。

このまま死んで、私の考えてることやら形跡なんて何も残らないんだな、とたまに思う。なので書いておこう。

 

まだ人生これからという人が自ら死を選んだりする。

 

辛いだろうけど、なんとか逃げてでも生きれば、楽しいことにも行き当たる。

 

私が辛かったこともいくつかあって、死ぬほど辛いと思う人にとっては大したこともないかもしれない。個人の感じ方によることだから比較の対象でもない。

 

でも、とりあえず逃げながらでももう少し待っていれば辛いことが薄れる。

 

少なくとも私の場合、数年おきに人生を否定されるが、耐えてたり、逃げたり、もがいたりしているうちに風向きが変わっている。

 

決して自分が他人に認められて風向きが変わっているわけではない。それでも他人がどう言ってようがだろうが、とにかく風当たりが弱まると、とりあえず自分の精神状態は回復しやすくなる。

 

理想としては、ヨガの先生がいうように、他人の評価にも周囲で起こる物事にも左右されず、あくまで自分は自分だからと考えられればよい。でもそこまで無理にすることもない。とりあえず、周囲の評価やその環境から少しでも離れられれば楽になる。

 

逃げているとか、今までの努力が、とか色々あるかもしれないが、もし死ぬくらいなら逃げたと言われても離れたほうがよい。